 |
No.1
5301
ノーヘッダー、張上屋根、乗務員室扉付きでスマートな気動車ですがバケット付きというスタイルです。窓寸法などが石川線の電車と共通になっていたそうです。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.2
5301
昭和32年(1957)8月にコハフ5301として客車で製造、昭和38年(1963)にDMH17CとTC2変速機を搭載して気動車となりました。
能登線廃止後は関東鉄道へ渡り、キハ541となりました。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.3
5201
昭和25年(1950)、国鉄キハ41000形キハ41043の払い下げを受けたものです。
動台車の羽咋側にバケットを取り付けていますが、当初は柵もない台だけだったそうです。
(P:1972.05.19 滝〜柴垣 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.4
5201
キャンバス屋根でオデコライトはキハ40000を彷彿させるところがあります。
機関はDMF13→DA54→DMH17Bと変わっています。
(P:1972.05.19 滝〜柴垣 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.5
5201
バケット側の写真ですが、テールライトが中央寄りに付いているのが特徴です。
能登線廃止後はそのまま廃車となったようです。
(P:1972.05.19 滝〜柴垣 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.6
5211
昭和42年(1967)、遠州鉄道のキハ802が転入してきたものです。
元国鉄キハ41000形キハ41056です。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.7
5211
国鉄キハ41000形キハ41056→41207→41307→キハ04 8→遠州キハ802→北陸5211と渡っています。
能登線廃止後は関東鉄道へ渡り、キハ461となりました。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.8
5212
昭和42年(1967)、遠州鉄道のキハ801が転入してきたものです。
国鉄キハ41000形キハ41034→41205→41305→キハ04 6→遠州キハ801→北陸5212と渡っています。
能登線廃止後は関東鉄道へ渡り、キハ462となりました。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.9
5213
昭和42年(1967)、遠州鉄道のキハ803が転入してきたものです。
国鉄キハ41000形キハ41002→41200→41300→キハ04 1→遠州キハ803→北陸5213と渡っています。
晩年は機関をはずして客車扱いになっていたようです。そうなるとこの編成はDTDです。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.10
5251
昭和40年(1965)、国鉄からキハ07 31を購入したものです。
テールライトが両エンドとも海側についています。5151と編成されることが多かったようです。
(P:1972.05.19 滝〜柴垣 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.11
5251
縦樋の受けが太く、取り付け位置がサイドの中央寄りに付いています。
排障器もついて、いかめしい印象を与えます。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.12
5151
昭和28年(1953)、国鉄キハ40000形キハ40014の払い下げを受けたものです。
DA54を搭載し、両エンドにバケットを取り付け、運転台反対側に乗務員室扉を散る着ける改造を施しました。
(P:1972.05.19 滝〜柴垣 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.13
5151
晩年は機関をはずして客車扱いとなっていました。
能登線廃止後はそのまま廃車となったようです。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.14
5001
昭和11年(1936)、ガソリンカーのキホハニ2として加藤車輛で製造。機関をDA54に換装してキハニ5001となり、晩年は機関をはずして客車となっていました。
昭和42年(1967)、廃車されて構内で倉庫として使われていました。
(P:1972.05.19 羽咋 コニカFTA コニパンSS)
|
 |
No.15
交通公社時刻表1972年3月号391ページの能登線時刻表から作成したダイヤです。柴垣〜三明間で行き違いをしている駅は、能登高浜駅と思われますが、時刻が掲載されていないので駅設定をしていません。
なお、列車番号は作成者が適当につけたものです。
(2009.07.19 OuDiaで作成)
|